中興名物 木下丸壺茶入 仕服 笹蔓緞子 笹田有祥作

中興名物 木下丸壺茶入 仕服 笹蔓緞子
木下丸壺:
この茶入れも持ち主が木下勝俊。「木下長嘯子(ちょうしょうし)」として知られる人物です。勝俊は豊臣秀吉の正室・ねね(北政所)の兄である木下家定の嫡男として生まれました。木下家は名門とは言えませんが、「秀吉の七光り」によってセレブの仲間入りを果たした勝俊は、和歌に目覚めて歌人として大いに活躍します。和歌の師である細川幽斎と人気を二分するほどの才能を発揮し、当時の社交界では相当な有名人となりました。秀吉の死後、当初は徳川方について鳥居元忠とともに西軍の攻撃から伏見城の守備をまかされました。しかし西軍の攻撃直前に勝俊は突如城を退去し東軍を裏切ります。結果的には伏見城は落城してしまいます。関ヶ原の戦いは東軍勝利に終わり、勝俊は敵前逃亡の責任を問われて領地を没収されてしまいます。後に父の家定が没すると、叔母のねねの斡旋によって父の遺領を相続し、大名として復帰を果たします。ところが、本来相続するはずだった弟の利房が不服として幕府に訴え、勝俊はふたたび領地を失いました。勝俊は、以降、武将としての人生をあっさり捨て、文化人として生きる決心。出家して京都東山に隠棲し、長嘯子(ちょうしょうし)と号してひたすら和歌に専念していきます。歌を通じて伊達正宗らの有力大名や冷泉家などの公家たち、さらに林羅山(らざん)、春日局といった幕府の要人たちとも交流をもったといわれています。

笹田有祥作

作家プロフィール
昭和27年京都に生まれる
昭和45年京都私立日吉ケ丘高校陶芸家卒業
昭和46年京都府立陶工訓練校卒業
昭和47年京都市立工業試験所陶磁器技能者養成所卒業
昭和48年手塚央に師事、茶陶を指導される
昭和50年独立。五条坂共同登り窯にて訪う唐物写し茶入れの制作を始める
昭和56年京都東山梅ケ谷工房を移す
昭和62年五条坂共同登り窯廃止に伴い西加茂に現工房を築く
平成元年京都丹波瑞穂町にて登り窯参加
平成8年京都市北区西加茂にて新工房を建て、茶道具の制作を中心に現在に至る

寸法
口径 6.4cm
高さ 7.5cm
箱 共箱
こちらの商品に関するお問合せは…
 03-3260-3021 担当:中川まで
店頭購入・お取り置き他、ご相談を承ります
受付時間 午前9時〜午後5時(土曜・日曜・祝日、当社指定休業日を除く)
販売価格 35,000円(内税)
在庫数 在庫 1 です。
購入数


最近チェックした商品